薮に入って泣いた我が子を見て、無人島への一時的移住を決意

ただ失敗したのはね、僕は家族を仕事場に連れて行くんですよ。僕その頃記録映画をやってました。だから映画の現場に連れて行くんです。でね、僕がどう仕事をしてるかっていうのを「そこに立ってなさい」って言って見せるんです。あのとき僕は水中映画の監督をやってたんですよ。で、魚の画をいっぱい撮ってたんですよね。「面白いだろ」って、魚の映像をたくさん見せて。そしたら「おさかなさん、かわいそうよね」って、娘はその日から魚が食べれなくなったんです。5歳か6歳ぐらいのときだったかなぁ。

あの頃はとても忙しくて、意識して時間を作らないと一緒にはいられなかった。だから関わり合うときは徹底してぐーって関わり合う。起きてから寝るまで。寝てるとね、鼻の穴に指を突っ込んで関わり合うの。思春期でお父さんが嫌とかも、僕には言わなかったですね。ずっと仲良かったですよ。僕がテレビに出だして、割と有名になったときは、友だちには色々言われたらしいですね。友だちが僕のモノマネするみたいなことは言ってましたけど、僕はほっときました。

会社(学研)に勤めてる頃、夏休みを1週間取るでしょ。そうすると夏に冬のリゾート地に行くんですよ。もちろん夏だから雪は降ってない。リフトがあったりする。まったく人がいないんです。だから大きな風呂は自由に使えるんですよ。家族3人で貸し切り。あえてそういうことをしていた。でも人混みを避けたいわけじゃない。もっといろいろあるんです。僕には子どもの心根を見たいという気持ちがありましたね。根性かな。そしたらね、ある夏、スキー場に連れて行ったんですよ。そこで、薮の中に綺麗な花があるんですよ。「あれを見に行こう」って言ってその薮の中に入ったんですよ。そしたらね、トゲが刺さって子どもが「痛~い」って泣きながら出てきたんです。それでもう薮に行かなくなった。これはいかんと思いましたね。

俺の子がトゲが刺さったぐらいで泣くようじゃ、もうどうしようもないと思って。これは俺の生活が悪いからだって思いましたね。それはそうですよね。生活の中で鍛えなきゃしょうがない。僕自身は子どもの頃、満州で育ったんですよ。しかも開拓団(※当時の満州国・満蒙開拓団)の村で。そうすると家の外はもう全部薮です。そういうところで育ったんですよ。それは僕の中で素晴らしい思い出になっていて、これは我が子にも必要だと思ったんですよ。だから小学校3年生になったときに、1年間休ませて、無人島に連れて行った。

 

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