画像: #19 清水の舞台から、嵐の中へダイブ!

ド直球と爆弾の沸点

さて、前回は麻ちゃんとの出会いのお話でしたが、その後すぐに “どうにかなった” わけではなく、しばらく “それきり” でした。会いたい気持ちと、会うのが怖い気持ち。もし麻ちゃんを好きになってしまったら? 私は、自分のセクシャリティと本格的に向き合わなければなりません。

それは果たして“正しいこと”なのか?

そして自分が“乗り越えられること”なのか?

判断を迫られるのです。
そもそも “ありのままの自分なんてものが、存在するのか?” という問い。みんな多かれ少なかれ、世の中に合わせて生きているのだから、“我慢すべきことじゃないのか?” という問いも……。そんな思いが胸の中でぐるぐる回っていました。

麻ちゃんと、何度かのメールのやり取りの後、軽くお茶でもしましょう、という話になりました。
絶賛 “孤育て” 中だった私は、もちろん子ども連れ。その日は大雨で、ベビーカーにレインカバーを掛け、ビショビショになりながらの外出でした。子どもが生まれてから、ついぞ行くことのなかったカフェで待っていると、ツートンカラーが進行し、毛先だけが銀髪の麻ちゃんが現れました。

照れ臭いやら、緊張するやらで、ぎこちなく話し始めたものの、子どもがいては雰囲気も何もあったものじゃありません。でも、子ども好きな麻ちゃんは、苦にしないどころか、むしろ子どもに夢中。私など眼中にない様子で、「子連れは嫌がられるかな……」と思っていただけに、逆に救われた思いでした。これって、どういうことなの?

私は基本的に鈍く、不粋なもので、色恋の駆け引きというものができません。はっきりと言われないと分からない女なのです。そこで「ココは聞くしかない!」と、こんな球を投げてみました。

「私、あなたのことが好きなんだけど、私のこと、好き? 付き合ってもいいと思う?」

ド直球、ストレート! こんな聞き方、普通はないですよね。アホでしょうか? しかし、それに対する麻ちゃんの回答は、極めて殺傷力の高い “爆弾” でした。

「うーん、好きかと言われたら、まだ好きじゃないかなー」

そう淡々と言いました。さらに続けて、こう言ったのです。

「あと、ついでに “好き” とか言うのはさ、一生に3回くらいなものだよ。最初と、死ぬ時と、あともう1回くらい

なんなのでしょうか? “脈アリ?” と期待する女心を瞬間冷凍して、なんなら釘でも打とうか、というご回答。いっそ清々しいほどです。つーか「好きとか言うのは一生で3回」って!? 「あの~、今、21世紀なんスけど。アンタ、武士ですか? いつの時代からタイムスリップを?」。一体、なんの悪い冗談なのか? 覚悟を決めて聞いてみた私の、この見事な吹き飛びぶりを分かっていただけますでしょうか?

その後もペースを乱されたまま、私たちはプラトニックな関係を続けていました。「まあ、それはそれでいいのかもしれない……」などと思っていた時でした。麻ちゃんが次なる爆弾を炸裂させました!

「そろそろ、してみてさ、それによって付き合うかどうか決めたいなー」

まるで、いいことを言ったかのようなさわやかな笑顔で、そう言ったのです。1970年代生まれの女性としては、さすがに「婚前交渉は……」などとは言いませんが、男性ともお付き合いしましょうという前にベッドインしたこともないし、当然女性とそういう関係になった経験もありません。そもそも、それって、“いいことかどうか、分からないなあ……” とすら思っている私にですよ、付き合うかどうかも分からないお試しセックスを! しようと! え? 服の試着をするような気軽な調子で持ちかけていらっしゃる! アナタ!! ちょっと!!!

ま、そんなことを言いながら、結局そこで、私は話にのったわけです。だって「もしかしたら、女の子も好きなのかも?」と、ずっと悩んできた私に巡ってきた、千載一遇のチャンスです。「ここを逃したら、もうこんな機会は一生来ないかも!」。そんなわけで、乙女ぶりたい気持ちはグッと堪えて、清水の舞台から飛び降りました。この時、罪の意識やら常識やらは吹き飛び、完全に “のるかそるか” の度胸試しでした。ついでにもう、この際ぶっちゃけますけど、それもですよ、私、女性は未経験だって言っているのに、先攻を譲られたわけですよ! やり方、知らねぇわ!

 

光はどこだ?

初体験を経て納得したのか、麻ちゃんはようやく付き合おう、と言ってくれました。ところがウキウキとお付き合いを始めたものの、徐々に関係性が曇ってきました。原因は私の罪悪感。この頃、まだホモフォビア(同性愛嫌悪)の気持ちを、根強く持っていたからです。

例えば、誰かを好きになる時、その人を好きになろうとして好きになれるでしょうか? 恋愛においては、まぁ滅多にないですよね。また「なぜ異性を好きになるか」なんて考えますか? 考えませんよね。それは私も同じです。私はたまたま男性だけでなく、男性のような女性も好きになりますが(女性らしい女性を好きになったことは、まだありません)、「女を好きになろう」とか「男を好きになろう」とか思っているわけではなく、たまたまいいなあと思う人が、男だったり、(一応)女だったりするのです。セクシャリティは、人が選び取れるものではない。この頃の私は、まだそのことには気づいていませんでした。

同性愛は禁忌だと考える家で育った私の “ホモフォビアの大嵐” と、麻ちゃんが時折投げつけてくる爆弾による “火炎地獄” 。それは戦いの連続でした。

ストレスはやがて身体に出るようになり、疲労も重なって目眩がひどく、平衡感覚を保てなくなりました。気がつくとビルの屋上から下を眺めていることもありました。「子どもがいるのだから、なんとしても生きなくては」と思い、この頃は「生きてかないと」が口癖でした。

そうして何度も何度も考えるなかで、「私は麻ちゃんが好きで、麻ちゃんも私が好き。なのになぜ、これほど苦しまなければいけないのだろう」と思ったのです。まぁ、麻ちゃんが “爆弾魔” なのは置いておくとして、“ホモフォビアの大嵐” を起こしているのは、少なくとも私です。本当に同性愛とは “正しくない” ものなのか、少しずつ考えたのです。そして死ぬくらいなら真正面から向き合ってみよう、そんなやぶれかぶれな気持ちに至りました。

この時期、周りにいてくれた友だちには、感謝してもし尽くせません。相談や議論に何度も付き合ってくれて、時に堂々巡りを続ける私を、放り出さずにいてくれた友だちのおかげで、三歩進んでは二歩下がりながらも、理解を深められました。長い長い時間をかけて、光射す方へ進み始めたのです。

やがて麻ちゃんの娘も、時折わが家に遊びに来るようになりました。子ども同士すっかり仲良くなって、「なんで今日帰っちゃうの?」というやり取りが繰り返され、麻ちゃんもまた、ファンヒーターの石油も買いに行けない私の生活力の無さに、半ば呆れて同居を申し出てくれました。なのにまだ “ホモフォビアの大嵐” から抜け出せていない私は、「ご近所の目が!」とか、「学校に言えない!」とか、心配性を爆発させて同居の申し出を断る始末。

でも同時に、いつのまにか麻ちゃんと娘がいない家の中は、静かで物足りないと感じるようになっていました。

お泊まりが増えていき、1泊が2泊になり、やがて同居となったわけですが、暮らし始めてみると、今度はステップファミリーとしての悩みが次々に浮上し、それからの人生、いつも大騒ぎでした。こじれにこじれた娘との関係、2人の息子、麻ちゃんの元旦那や両親、そして私の両親……。その経緯はこれまでに書いてきたとおりです。

そんな大騒ぎの生活を始めて3年ほどが経った頃、私は思いついてしまったのです。「なにか、この暮らしを始めたというケジメのようなものが欲しい」。その思いは日増しに強くなっていきました。(続いちゃった)

画像: 光はどこだ?

Composition:Yoshiyuki Shimazu

 

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