画像: #17 結婚しても、なんともならないものはならない

イケてない私

前回は高校卒業までのお話でしたが、今回は迷走の度合いが増す、大学生になってからのお話です。大学は共学。とうに女子大生ブームは去っていましたが、それでもまだ女の子たちはキレイに化粧をして、(バブルがはじけても)ブランドバッグを下げて学校に通う時代でした。

私はというと、ファッションに全く興味がなく、リュックサックにTシャツ、短パンという格好。自分ではカリフォルニア・ガールを狙っていたつもりですが、実際はただの小学生ルックで、色気もへったくれもありません。モテ要素ゼロの非モテ街道、大驀進! ですが当の本人が “恋愛に興味なし” ですから、モテも非モテも気にしていませんでした。しかし、そこで事件が起こったのです。

浮かれていた私は、何を間違ったのかリア充の王道テニスサークルに仮入部しました。テニスも楽しいし、友達もできたし、「さぁ入部!」という時、上級生の男の子から、今年は新入生が多すぎるので、残念だけどほかを当たってくれと断られたのです。人数オーバーなら仕方ありません。ほかの運動サークルを見つけ、結局そこに入りました。

しかし程なく、入部できなかったサークルのメンバーで仲の良かった女の子から、「春ちゃんが入れなかったあとに、同じ学部の◯◯ちゃんと、△△ちゃんが入ってきたよ。なんか、上級生が “全然いいよ” って」と、聞かされたのです。私のあとに入部したという女の子たちは、ミニスカートにヒールを履き、ウエーブをかけた長い髪の毛がとっても可愛い美人さんだったのです。

ここに来て初めて “可愛い子→入れてもらえる”、“イケてない私→入れてもらえない” と気付きました。ボーッとしているにも程がありますが、テニスサークルの女の子たちは、男の子たちの恋人候補でもあることを、全然理解していなかったのです。

 

逆襲する赤文字系女子

カチンときた私は、いわゆる赤文字系雑誌というやつを初めて手に取り、徹底的に真似をしました。履いたことのないヒールを履き、親のクローゼットからブランドバッグをパクり、ミニスカートを穿き、髪の毛も長く伸ばしました。化粧も、あの頃が一生で一番濃かった気がします。

最初は “バカにするな!” という思いで始めた女装でした(自分本来のポテンシャルを、遥かに超えていたので、自分のなかでは女装という言葉がピッタリでした)。それでも、そんな格好をしていると、周りの扱いが違うことに気付きました。今まで私のことなど、視界に入れもしなかった男の子たちが、「荷物持とうか」とか、「ご飯おごるよ」なんて言ってくるのです!

「こういう格好をすると、なにかと便利!」だと、私は味をしめました。若さゆえのアホまっしぐら。男の子から、お付き合いを申し込まれるようになると、「せっかくだし……」といそいそ出掛け、「あんまり得意じゃないな……」と思っていた男の子相手でも、今までとは違う世界に「これはこれで、楽しいものだ」と思う始末。

「本当は女の子も好きになるのかも」と、ずっと胸の片隅にこびりついていた不安が晴れていくようでした。「私はちょっと奥手だっただけ。大人になれたんだ」。こうして異性愛全開時代に突入したのです。妹からは「あの頃、お姉ちゃんは本当に派手だった。ああいう人なのかと思っていた」と、未だにからかわれる始末です。

折しも時は90年代。テレビではドラマ『東京ラブストーリー』が大流行。毎週友達の家に集まって見るか、そうでなければ親に怒られながら電話の子機を占領して友達と話しながら見るか、という熱狂ぶり。あの一大恋愛ブームの頃、恋愛話の蚊帳の外にいるのは怖いくらいでした。本当は彼氏といてもどこかくつろげない自分を認めず、一方で女友達と恋愛話で盛り上がって楽しむ自分に、どこかズレたものを感じていたのに……。

 

人生の逃亡劇が始まる

大学も4年生になったあたりから、赤文字系路線に疲れてきました。数年にわたって “自分ではないもの” に全力でなろうとしていたせいか、自分がどういう人間なのか、すっかり分からなくなっていたのです。

時代は就職超氷河期。大企業に就職はしたものの、この頃から、私は “なにかから” 必死に逃げるような生き方をするようになりました。学生時代というモラトリアムが終わり、否が応でも大人にならなければいけないのに、自分を受け入れられない私。いつまでも基盤が不安定で、なにかを積み上げていくことなど、さらさら無理でした。

結婚の文字がチラつくようになると、私はいよいよ鬱々とし始めました。クリスマスケーキに例えられ、「女の子は25歳を過ぎたら売れ残りだ」なんて失礼にも程がある物言いがまかり通っていた時代です。今となっては「なにを焦る必要があるのか?」と思いますが、周りの女の子たちが真剣に男を吟味したり、結婚のタイミングをはかっている時、私はひたすらこう思っていました。

「自分は結婚できない。男性と暮らす自分が想像できないんだから、絶対できない」

その思いはいつの間にか、こんな風に変化していました。

「ただでさえ結婚できる気がしないのに、歳を食ったら完全に行き遅れる。早いうちに結婚しなくては!」

運命の人、というよりはクラスメイトのような男性と、私はいきなり結婚することにしました(もちろん彼のことは好きでした)。友達はびっくりしつつも、「よほどぴったりの相手が現れたのね」と思ったようです。しかし実のところは強迫観念に突き動かされ、不都合な真実には全部目をつぶったまま「結婚しちゃえば、きっとなんとかなる!」という、目隠しして暴走するような結婚でした。

何度も何度も心の中で、「私は男の人と結婚生活ができるんだろうか?」と思いました。同時に「なぜ、そんな思いが去来するのか?」について、本気で考えることを私は頑なに避けていました。もしここで “なにか” を認めてしまったら、私はもう結婚もできないし、子供も持てないからです。

はっきり言えば「同性愛者として暮らしていけるほど、私はタフな人間では全くないので、たとえ女の子と付き合うことになっても、世間体とやらにアッというまに潰されてしまう自分が想像できるから」、命がけで “なにか” から目を逸らすことにしたのです。

そうして私は結婚し、すぐに子供にも恵まれて「これで幸せになれる」と思った矢先のことでした。

出産時のトラブルで子供に障がいが残るかもしれない、と言われ結婚生活は一変。度重なる検査や病院通いで、育児を楽しむ余裕など、ゼロどころかマイナスです。子供のことに必死になって、ふと気が付いた時には、家庭は壊れた後でした。そうして私は、振り出しに戻されたのです。逃れられない自分との長い対峙の始まりでした。

<もうちょっと、つづく>

画像: 人生の逃亡劇が始まる

Composition:Yoshiyuki Shimazu

 

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