画像: #16 若気の至りじゃなかったのに、あぁオスカル!

恋愛にノレない自分

「人を好きになるって、どういうこと? どんな感じ?」

まだ中学生だった娘から、私は何度も尋ねられました。娘が小学生だった頃は、周囲のオマセな女の子たちが “恋バナ” に夢中になっていてもマイペースで、恋愛に興味を示しませんでした。それが中学生になって、周囲の友達が実際に誰かとお付き合いを始めるのを見て、“人が人を好きになること” が、とても不思議に思えているみたいでした。

一時は、仲良しの女友達のことを「この “好き” の気持ちは、友達として “好き” なのかな? それとも、恋?」と、言っていたので「あら? あなたは、女の子も好きになるの?」と訊いてみました。すると、「うーん、そんなこともないかも。だけど、ママたちを見ていたら、そういうこともあるのかなー、と思って」と、いうケロリとした返事。その自然体な様子に、私は胸を打たれてしまいました。異性でも、同性でも、誰かを好きになる(あるいは好きにならない)というのは、本来このくらい気軽な話なのです。

しかし、自分自身の “誰を好きになるのか” という件については、まさに迷走の連続! というわけで、いつもの子育ての話からちょっと離れ、同性パートナーとの子育てに至るまでの前日譚。私自身のセクシャリティの目覚めがどんなものだったのかを、お話ししたいと思います。ちょっと回を跨いでの長い話になりますが、お付き合いください。

私が生まれたのは1970年代。小さい頃はおとなしくて病弱な子どもでした。初恋は幼稚園の時、同じ組にいたマッシュルームカットがステキな、ジェントルな男の子。この頃、女の子を好きになった記憶はありません。小学校にあがっても、特にそれは変わらず(まぁ、ちょっとやんちゃな男の子が苦手ではあったものの)、好きになるのは男の子ばかり。特に違和感もなかったので、「自分は同性愛者かも?」なんて、全く、1リも思っていませんでした。

私がうっすらと「自分は周囲の人と違うかもしれない?」と、最初に感じたのは、第二次性徴を迎える頃。いよいよ大人への入り口に立つという時です。その違和感は、「女の子が好きかも」というものではなく、周囲の女の子が恋愛に夢中になっていくのに、私はいつまでもぼんやりしたまま、「恋愛にノレないなぁ」という、むしろエーセクシャル(恋愛自体をしない人。アセクシャルとも言います)的なものでした。

マズイ、それはマズイよ!

そんな周りに遅れをとりがちな私に、ひとつの転機がやってきました。男女共学の中学校から、女子高校に進学したのです。通い始めてすぐに、私はとても楽なことに気づきました。「学校の中に恋愛要素が無いって、なんて快適なんだろう! おまけに、なにかと男子/女子に分けられ、型にはめられるのが息苦しかったけれど、それもない!」。男の子の目が無いので、みんなざっくばらん。夏になるとスカートをバサバサ扇ぐし、学園祭の大きな飾りつけも、力を合わせてやる。そういう環境が、自分にはとても気楽だったのです。まるで小学生に戻ったかのような快適さでした。

女子校によっては、公認の女の子カップルがいるケースもあるようですが、私の学校には残念ながら、そういう文化は皆無。とはいえ年頃の女の子が集まっているわけで、ボーイッシュな女の子は人気がありました。特にバスケ部のエースだったNちゃんは、さっぱりと明るい性格で学年の人気者。ちょっとしたアイドルで、キャーキャー騒がれていました。ノリのいい彼女と私は、たまたま席が近く、休み時間になると私の好きなマイケル・ジャクソンのモノマネで踊ってくれたりしました。当然、私も彼女が大好きでした。

高校1年、2年と何事もなく過ぎていき、3年になりました。ある日、すれ違ったNちゃんの腕を、ちょっとした用事で掴んだ時でした。体中に “ざぁっ” という違和感が駆け抜けました。瞬間的に手を離しました。ただのクラスメイトだと思っていたNちゃんに、「なぜ、こんな違和感を?」と不思議だったのですが、この日を境に、いつも無意識に彼女を目で追いかけている自分に気がついたのでした。

気づいた瞬間、「これはマズイ。今すぐやめなければ」という感情に襲われました。なにしろ私の実家はクリスチャン。ただでさえ潔癖な家庭です。その一方で、まだ誰とも付き合ったこともなかった私は、男の子の代わりを求めているだけのような気もしました。

自分の感情がよく分からず、親友に相談をしてみることにしました。今でもよく覚えています。放課後の教室で、「あのさ。私、もしかして女の子が好きかもしれないんだよね」と、親友に切り出してみました。すると、特に驚いた風でもなく、あっさりとこう返されました。「あー平気、平気! ほら、若気の至りってやつ? 女子校だしさ。なんか、気の迷いじゃない? きっと大人になったらまた変わるよー」。それを聞いて、私は「そうか! だよね! まだ若いからだよね!」と、うっかり納得してしまったのです!

あぁ、バカ! バカ!

ここで気づいていれば、もっとその後の人生が簡単だったはずなのに! Nちゃんが好きだと認めたくない気持ちと、まだ恋愛するほどに成長してなかったという事実。そして実は、同時にもうひとつ大きな問題が、私の心にズッシリとのしかかっていたのです。

オスカルだってそうだった

当時は “ベルばら” こと『ベルサイユのばら』という、フランス革命を描いた少女漫画が流行っていて、男装の麗人である主人公オスカルに、キャーキャーいう女の子が割といました。私もそういうひとり……ですが、私の心を最も強く捉えたのはロザリーというキャラクターです。彼女はオスカルに助けられた少女で、そこらの男よりも男らしいオスカルに恋をする脇キャラ。しかし、オスカルは同性であるロザリーには洟も引っかけず、結局は男のアンドレとくっついてしまうのです。

ロザリーの役回りこそ、まさしく私!

そもそもNちゃんというオスカルが、ロザリーごときの私を好きになるわけがない。オスカルはあんなに男らしいのに、恋をすると女として目覚める……。その描かれ方も、私を絶望に叩き落とすのに十分でした。Nちゃんだって、いつか男とくっついてしまうんだぁ!

Nちゃんは学年の人気者です。高嶺の花過ぎるし、そもそも彼女が女の子を好きになる可能性など、微塵もないと思っていました。まだ私にとっての同性愛者は、ドラゴンやユニコーンと同じ、映画や物語に出てくるぐらいのイメージでした。世界がひっくり返って、彼女と付き合えたとしても、どう付き合うのか全く想像できません。好きになるのはいいとして、そのあとどうするの? デートするにしたって、それは女友達と出掛けるのと、なにが違うの?」。同性ともセックスできることは知っていたけれど、自分の身に引き寄せて考えるには、遥かに至りませんでした。

結局、その話はその後なんの展開もなく、ぼんやりとした片思いのまま、“若さゆえの気の迷い” ということで高校を卒業しました。かえすがえす、せっかくのチャンスだったのに……、気づきをスルーしてしまったのです。そして、私は迷走の果ての “大学期” に突入するのです。

<つづく>

画像: 恋愛にノレない自分

Composition:Yoshiyuki Shimazu

 

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