画像: #15 カミングアウトの、かくも長き後始末

カモフラ生活、始まる

カミングアウトというと、みなさん “カミングアウトするときが大変だ” と、思われていませんか? まぁ、ドラマでも盛り上がる所ですからね。そう思っちゃいますよね。でも実は、その後の関係づくりが一番大変なんです。

そもそも、カミングアウトは、伝えた相手とより仲良くなりたいからするもの。ショックを乗り越えてもらい、新たな信頼関係をいかに築けるかが “キモ” なのです。もちろんショックが小さければ小さいほど、乗り越えやすい。前回、親への “やらかした” カミングアウトについてお話ししましたが、あれほどひどいショックを与えると、乗り越えるのがもう大変なわけです。それはそれは長い混乱が続きました。長かった……!

いよいよ麻ちゃんと暮らすことになり、ウキウキしていた頃でした。「家具を見に行こう」とか、「ソファが欲しいよね」なんて、楽しい会話で盛り上がり、もうすぐ大好きな人と暮らせる喜びを感じていた頃、母から電話がかかってきました。この頃は、本当にしょっちゅう母から電話がかかってきたのです。

たわいもない話をして、電話を切ろうとした時でした。母が電話の向こうで、こう言ったのです。「麻ちゃんと一緒に暮らすのはダメよ。ご近所にどう思われるか……。子どもたちの学校にも言えないでしょう!」

まだ母に、麻ちゃんと暮らすことを話していないのに、この先制攻撃です。なんという鋭い勘! 墓 、ご先祖の次は、ご近所と学校という急所を攻めてくるとは、さすが母……。

今なら言い返すこともできますが、この頃はまだ、初めて同性パートナーと付き合い始めたばかり。恋人が同性であるがゆえに起こる不便さに、いちいち驚いているような状態でした。例えば、手を繋いで街を歩くだけで、ジロジロと見られること。一度など、通り過ぎた後にわざわざ戻ってきて、顔を覗き込まれたこともありました。

母も心配してくれていたのだと思いますが、見通しのつかない未来に踏み出そうとしている身からすれば、その心配もただの脅しにしかなりません。一気に自信がなくなり、胸がしぼんでいきました。

一緒に住んではいけないと親が言う以上、一緒に住むわけにはいかないのかもしれない。でも、私の生活力では日々の生活が全然回らないし、やっぱり一緒に暮らしたい。麻ちゃんと2人で、何度も話し合いました。何度も喧嘩しながら出した答えは、“一緒に住む家とは別に、近くに麻ちゃんのアパートを借りる” というものでした。

実際には一緒に暮らすのですが、とりあえずの住所は別。ちょっと不経済ですが、なかなかのナイスアイデア。これなら親の懸念もクリアしているし、「これでどうだ!」という気分でした。

こうしてカモフラージュ生活(?)を始めたものの、まだ母には理解がなく、たびたび母とぶつかっていました。この頃「妹や弟の連れ合いは大切にするのに、私たちだけ、なぜこんなに差をつけられるのか?」と、私は常に腹を立てていました。そして何度目かの大きな喧嘩で、「なんでそんなに理解できないの!?」と噛みついたところ、「そんなことは一度も習わなかった! 良くないことだと、ずっと教えられてきたのよ!」という悲鳴が返ってきました。私は、ようやくハッと気付きました。

実は私の親はキリスト教徒。それも同性愛に反対しているカトリックです。カミングアウトを受け入れるには、60年以上にわたって信じてきたことを覆さないといけなかったのです。それから少しずつ、私も待つことを覚えました。その間、妹は「お姉ちゃんを受け入れてあげてよ!」と強力な後押しをしてくれましたし、弟はさりげなく子どもたちを遊びに連れ出してくれました。そのサポートには、今も感謝しています。

3年間、喧嘩しかしない時期を経て、ようやく関係回復の兆しが見えてきました。雪解けと共に、母から手紙が届きました。

「腹をくくりました。あなたの味方をします」

 

父と透明人間

一方、父との戦いもありました。カタブツな父は、麻ちゃんとのことを母から聞いたはずです。しかし、父の想像の斜め上を行き過ぎたのか、いつもなら勢いよく恫喝してくるはずなのに、無言を貫きました。母のことで手一杯だった私は、父のことまで考えが至らず、気が付いた時には、父は麻ちゃんを徹底的に避けるようになっていました。あまりに露骨に避けるので、傷つくやら麻ちゃんに申し訳ないやら。本当にいたたまれなかったです。

この頃の父は、私の家に寄る時に、必ず麻ちゃんの不在を確認する電話をかけてきました。「そんな電話をするくらいなら、来なくていい!」と、電話を叩き切りたいところを、何度飲み込んだことでしょう。一度、仕事が早めに終わった麻ちゃんと、父が鉢合わせしたことがありました。すると父はソファからさっと立ちあがり、飲みかけのお茶を私に手渡し、麻ちゃんが見えていないように振る舞って、3秒で出ていきました。

今思い出すと、むしろ可笑しいのですが、当時はそんな父の振る舞いに、毎回傷ついていました。なにしろ父は母と違い、そもそも話し合いにすらなりません。実家の敷居を、麻ちゃんに頑なに跨がせない父の様子には、「望み薄……」という気持ちでした。

もう父と、うまくやっていくのは難しいかも……。麻ちゃんと暮らすようになって、6年が過ぎていました。その頃には私も疲れ果て、だんだん実家から足が遠のいていました。そんな折、郵便受けに父からの郵便物が届いていました。中を開けると野球観戦のチケットが5枚。初めて父から、私たちが家族として扱われた瞬間でした。

場所は東京ドーム。しかし、そもそもスポーツ観戦というものをしない両親と私たち家族は、誰もルールを分かっていなかったし、選手の顔も名前も全然知りません。おまけに麻ちゃんを呼んでおいて、父は結局一度も話しかけず、ほとんど分かっていないであろう野球を黙々と見て、母に苦笑されて帰っていったのでした。

麻ちゃんが、実家の敷居を初めて跨いだのは、それからさらに2年後。一緒に暮らし始めて、実に8年の年月が流れていました。この間、透明人間扱いをされようが、実家に招かれず正月を1人で過ごそうが、ただの一度も私の親を悪く言わず、のんびりと構えてくれた麻ちゃんが、関係回復の一番の功労者だった気がします。

そして今では父も、自分が飲めないお酒をいただくたび、「麻ちゃんに持っていけ」と言ってくれるようになりました。

画像: 父と透明人間

Composition:Yoshiyuki Shimazu

 

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