「うまく立ち回らなきゃ」の
プレッシャー

画像: 「うまく立ち回らなきゃ」の プレッシャー

私が所属している「にじいろかぞく」という子育て中のLGBT家族のパパママサークルでは、時々小さな勉強会を開いています。先日のテーマは「LGBTを親に持つ子どもと学校問題」でした。

いよいよ就学時健診の季節になり、来春、小学校入学を控えた子どものいる家庭は、「うまくやっていけるかしら !?」と、とても落ち着かない様子。それもそのはず、LGBTの親やその子どもにとって最もハードな日々 “小学校生活” が始まるのですから!

もう子どもが大きくなっているLGBTの親同士で集まった時、「保育園から大学まで通わせてきて、一番ハードだったのは小学校だよね!」ということで意見が一致しました。

子どもの小学校入学は、いわゆるノンケのご夫婦でも、十分ドキドキする出来事だと思いますが、マイノリティの親には、さらに1~2段階くらい深刻なのです。

小学校は保育園のような家庭的な場所ではありません。しかし、さまざまな家庭と関わりながら、一緒にまだまだ幼い子どもを見守らなければいけません。この “さまざまな家庭と関わる” というのが非常に大変なところで、それは言わば “これからも、この町で子育てしていけるかどうかを懸けた挑戦” なのです。

大人だけで暮らしているLGBTの人たちは、地域社会と関係を持つことはあまりありません。しかし、子育てをしているLGBTの家庭は、子どもの小学校入学を機に地域社会と密接なつながりができ、さまざまな家庭の価値観とぶつかるのです。しかも子どもって、家のことを全部話しちゃうし……。

想像してみてください。自分の家庭を否定することが、“正義” だと思っている人がいるかもしれないのです。そのなかでうまく立ち回らなければいけない! これはなかなか大変なことだと思いませんか?

余談ですが、私は同性のパートナーと付き合い始めてから “いい人風に振る舞う” ようになりました。あくまで “いい人風” なのですが、マイノリティである分、感じ良くしようとする癖がついています。でも、これっていいことなのかなあ……。

 

学校にカミングアウト
する? しない?

そんなわけで勉強会では、「ランドセルを買った?」というウキウキした話に続いて、
「家庭状況調査票って、どんな風に書いた?」「学校にカミングアウトする? しない?」「カミングアウトしないと、パートナーは学校に行きにくいかな?」「ていうか、どこまでカミングアウトするの? 担任の先生だけ? それとも先生全員? ほかの保護者のみなさんにも?」
などなど、話題は尽きません。

例えば家庭状況調査票。私が男性と結婚していた頃は、それはただの書類だったのに、パートナーが同性になった途端、悩ましいものになりました。我が家では、法的な続柄の “妻” や “夫”、または “長男” に当てはまらないものが多いからです。

具体的には、私が継娘(ままむすめ)の続柄を “子” と書いていいのか悩んでしまいます。結婚していれば血の繋がらない子どもでも “子” と書いていいような気がします。でも継娘は血も法律上も繋がっていない、いわば他人。“子” 同然に育てているという事実をもって “子” と書くべきなのか、それとも法律に則って “パートナーの子” と書くべきなのか?

しかも相手を “パートナー” と書くことは、カミングアウトになります。学校に親の関係性を話せない場合、“同居人の子” または “親戚” にせざるを得なくなり、そうすると今度は実態から離れてしまう悩ましさがあります。

先日の勉強会では、ゲイの小学校の先生をゲストにお招きしたのですが、この先生の提案がとても面白かったので紹介します。それは「ふんわりカミングアウト」「うちの家庭、複雑なんです。察してください」と言ってしまう、というやり方! 踏み込まれないように予防線を張りつつ、嘘はつかないという高等テクニック。さすがは現役の先生、「うまい方法をご存知だなぁ」と感動しました。こと家庭に関して、先生方は基本的にプライバシーを尊重するというスタンスなんだそうです。ちなみに、カミングアウトをしていなくても、パートナーが学校に行くことは可能です。

 

13年前の “妥当な判断” に、今思う

私の一番上の子どもが小学校に入学したのは13年前。離婚後、現在のパートナーと暮らし始めたばかりの頃でした。LGBTなんて言葉もまだなく、今のようなLGBTブームが十数年後に来るなんて全く想像できなかったあの頃は、小学校入学に当たってカミングアウトするなんて、夢のまた夢でした。

これまた余談ですが、私にとってカミングアウトは、私からの “ステップ数” で難易度が変わります。

例えば “私の” 友人、“私の” 同僚、“私の” 親……のように、私と “1ステップ” で繋がっている人は「何かあっても直接話せる!」と思えるので比較的簡単に話せます。でもこれが “私の子どもの” 学校の先生とか、“私の友だちの” 旦那さんとかになると、2ステップになるわけで、こうなるとお互い直接的な信頼関係がないので、「難しいなぁ」と感じます。

ですから、“私の子どもの友だちの” 親御さんというのは、3ステップ。 カミングアウトの最難関で、今のような社会的認知がない頃は(社会的認知の進んでいない地方では「今もなお」という気がします)いちいち説明して回るわけにもいかず、パートナーを親戚だとか友人だと説明することを “妥当な判断” としました。

現在、「カミングアウトはしたほうが良い」という考えが主流ですが、私はこれに賛成ではありません。LGBTの社会的認知を上げるために、カミングアウトは必須であるというのは分かります。しかしその結果、個人が危機にさらされるならするべきではないのです。カミングアウトをして利益が上回る人はすればいいし、カミングアウトして不利益が多くなりそうな人はする必要はないと思っています。

今、私の子どもたちは大学生と高校生になりました。我が家でも中学の頃から、担任やスクールカウンセラーに少しずつカミングアウトするようになりました。カミングアウトをしやすい先生もいれば、しにくい先生もいます。これは男女差でもないし、年齢差でもない。「年配の先生で、きっとLGBTのことなんて何も知らないだろうけど、子どものために理解しようとしてくれそうだな」とか、「話せそうな相手かどうか」にかかっています。

例えば下の子の担任は、爽やかなイケメンでサッカー部の顧問。話も面白くて教育熱心な、周りからの信頼も厚い先生だったのですが、「この人は、学生時代からスクールカーストで常に上位にいたんだろうなぁ」と思えるキラキラぶりに、結局カミングアウトができませんでした……。

おかしかったのは、あるスクールカウンセラーに伝えた時。スクールカウンセラーっていうくらいだから、驚かずにカミングアウトを受け止めてくれると思ったら、「ええぇ!? もう一度いいですかぁ!」と予想を裏切る、ものすごいオーバーリアクション。それも2分おきに5回も繰り返し訊かれる始末。声も完全にひっくり返っていて、「そんなに驚く? 絶対、生徒にもLGBTの人がいると思うけどなぁ。相談されたことが一度もないなら、カウンセラーとしてのメンツに関わってくるんじゃないの?」なんて……。あ、ちょっと意地悪かな?

先生へのカミングアウトは一大事。それも担任が変わるたびに、毎年、毎年やらなきゃ……なんですよね。あぁ、やっぱり疲れる。

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